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TOP > Meister 06年12月13日号 ![]() 【マイスター】 12/31(日)p.m.10:30〜大典寺・本堂 | ||||||||||
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小学4年生の邦子さんは、母に連れられ、旧ソビエトのソプラノ歌手ベラ・ルデンコのステージを東京で観た。生まれて初めての、ナマで観る海外のアーティストだった。プリマドンナ=オペラで主役をつとめる女性歌手の姿は、少女の心に深く焼きついた。「私もベラ・ルデンコになりたい…」。オペラ歌手ではなく、ベラ・ルデンコになりたいと思った。 |
夢見る少女のままで in Europe 20 years 1989年−17年前のヨーロッパ。東西冷戦の象徴であったベルリンの壁が崩壊した。ドイツ統一の波は全ヨーロッパに広がり、やがて共産主義の崩壊へとつながった。 邦子さんは19歳から22歳までの3年間、共産主義国ブルガリアで声楽を学び、ブルガリを拠点に音楽活動を続けていた。ブルガリアはオペラ大国として知られ、ブルガリアンボイスと呼ばれる独特の歌唱法は、世界中で評価されている。 共産主義の崩壊とともに、ブルガリアはすさまじい失業におそわれた。それまで、あらゆることが国営で、買物ひとつにしても行列に並ぶ生活だった。国営であった市町村のオペラハウスが民営化され、有名な劇場でさえ売りに出た。劇場に所属するミュージシャン、舞台装置、衣装など、劇場に付随する全てのものを、まとめて買い取って欲しいという話しが、邦子さん達のもとへ舞い込んだ。 その波に乗って、邦子さん達は劇場を買い取ると、オペラの芸能プロダクションとして、音楽ビジネスを展開し始めた。 国籍が違う60名以上のミュージシャンをバスに乗せ、東ヨーロッパから西ヨーロッパまで公演の旅を続けた。フランスとミラノとブルガリアに拠点を置き、遠いところでは1000キロ以上を移動して巡業を続けた。ビジネスは順調で、毎日をエンターテイメントの世界に生きていた。映画の主人公みたいな、順風満帆で夢のような生活が13年間続いた。いつまでもこの夢がさめないで欲しいと、彼女は願っていた…。 芸能の島・沖縄で3歳からピアノを始めて 那覇市識名。音楽教師の母のもと、邦子さんは3歳からピアノを習い始めた。そして、小学校4年生で、世界的オペラ歌手ベラ・ルデンコとの出会い。お姫様になりたがる多感な年頃に、それは衝撃的な出会いだった。その時から、音楽という将来の方向性を自分の中で決めていた。 「大海に出たい。沖縄から離れて広い世界へ羽ばたいてみたい…」 邦子さんは、東京の音大付属高校へ進学した。しかし…何かが違った。音楽の勉強へ来たのに、盆暮れのマナーや公演会のチケット販売ノルマなど、夢とは違う世界を押し付けられた。 「やっぱり本場から何千キロも離れている東京じゃだめなのかな…」 入学した時には一番の成績だったが、卒業する時は落ちこぼれになっていた。本当にクラシックの勉強をしたいのなら、声楽といえばイタリアだ。本場ヨーロッパへ行こう。邦子さんはそう考えると、19歳で単身イタリアへ渡った。 しかし、本場イタリアのレベルはあまりに高すぎた。邦子さんは自分の実力とまわりとのギャップに悩まされ続けた。はじめての挫折…。 イタリアの学校で煮詰まっている時、ブルガリア音楽大学の先生が訪ねてきた。日本が大好きな先生で、邦子さんは歓迎会で手作りの和食をふるまった。そこでスランプであることを相談すると「それならブルガリアで勉強してみたら…」とアドバイスされた。イタリアの有名劇場で活躍するオペラ歌手の多くが、ブルガリア出身だった。邦子さんは活路を求めて、ブルガリアへと渡った。そして、それが大きな転機となった。 ブルガリアでの3年間は、自分のやりたいことができる満足感で毎日が充実していた。ブルガリアの音楽学校を首席で卒業すると、大好きなイタリアへと戻り、本場オペラ界で目ざましい活躍を続けていく。 そして、高校を出て渡欧してから、20年の歳月が流れていた。 生まれ島に呼ばれここから発信していくこと 9年前、邦子さんは日本へと帰ってきた。1年間を福岡で過ごし、4年間を京都で生活した。 「夢からさめた時、生まれ故郷である沖縄が自分を呼んでいました。ヨーロッパでの20年間は、まるで自分の過去生のように感じました。ひとつの人生が終わって、三次元的な夢とキャリアに一区切りがつきました」 縦横高さで構成される三次元空間から、過去・現在・未来へと時間軸が流れる四次元の世界へ、邦子さんはひき込まれていった。 ルーツであるうちなーんちゅとしての精神世界を求め、新しい人生が幕があけた。生まれ島よりも、海外での生活が長かった邦子さんの、自分探しの旅が始まった。久高島、ヤンバル、大宜味村など様々な聖地を訪ねて回った。祖母が大宜味村のノロ(公的祭祀をつかさどる女性聖職者)であったことも、その頃から意識し始めた。 2002年7月、エフエム那覇が開局。クラシックの音楽番組をと要望されたが、あえてゲストトークをやりたいと邦子さんは提案した。1ヶ月も続かないだろうと心配された『田村邦子のマジカルミステリーツアー』は、今や放送1000回を超え、エフエム那覇の看板番組として、web上でも世界のどこにいても聴取することができる。 「今では、沖縄から発信することが、いっぱいあると気付いています。色々な人を、この島が集めています。沖縄には、何かが生まれていくエネルギーが満ちあふれていると思います」 ヨーロッパで展開していた音楽ビジネスを沖縄でも続け、海外の有名演奏家を招聘して、生まれ島の音楽環境の活性化に力を注ぐ邦子さん。 きたる12月31日(日)大晦日。今年で5回目になる年越しの無料コンサートが那覇・大展寺で開催される。 イルミネーション輝き、光あふれる師走の夜空に、天使の声がこだまする。少女がオペラ歌手ベラ・ルデンコと出会って、世界へ大きく羽ばたいたように、ナマの邦子さんや素晴らしいアーティストとの出会いが、新しい才能を生み出していくことを祈って―。 | 田村邦子さんのリフレッシュ法 ◎御嶽巡り 沖縄の人が昔から守り続けている祖先崇拝や自然崇拝に、敬虔な気持ちで触れている。御嶽と音楽と映画は、邦子さんの生活になくてはならないもの。◎映画 良い映画には特有の匂いがあるので、なんの情報もなく観に行くことが多い。映画から得るプラスの波動で、人生を導くたくさんのキーワードをもらっている。最近のお気に入りは「海を飛ぶ夢」。 ![]() 「本当にやりたいことを見つけてください。分からない時は消去していくのも良いでしょう。本当にやりたいことが天からいただいている仕事で、好きなことが仕事になります。嫌いなことをやっていると続かないし、病気になったりします。あまり周りの声は聞かずに、自分の心が喜んで出来ることを見つけてください」 Imformation 「 往く寿還る寿 ライブ」12月31日(日)p.m.10:30〜 那覇・大典寺(本堂) 入場無料 21:30…餅つき! 22:30…ライブスタート! 24:00…除夜の鐘がつけます ※ どなたでも自由に参加できます お問合せ TEL:098-868-3491 www.daitenji.org/ 当日の模様は、 78タイフーンfmで ライブ中継されます ![]() |


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