車に50本の釣竿を積み、東京から船で3日間かけて沖縄に到着した。車と釣竿と50個のリールと釣具だけが、第二の人生へ向けて財産のすべてだった。
坂間さんは、東京の下町・深川で生まれた。三社祭りやサンバカーニバルで有名な浅草で育った。1972年に大手の旅行代理店に就職。高度経済成長のさなか、日本人の海外旅行がスタートした時期だった。当時の旅行代理店では、社員が自分たちでツアーに添乗していた。剣道で鍛えた大きな体の坂間さんは、すぐに海外駐在を命じられた。パリ、フランクフルト、ローマ、ロサンジェルス、サンフランシスコ、ホノルル、ニューヨーク、シドニー、メルボルン。短期1ヶ月から3ヶ月のホテル暮らしで、駐在と添乗の両方の仕事をこなした。
海外では貴重な経験をいくつも積んだ。俳優のスティーブ・マックイーンやアラン・ドロンと会い、ベルサイユ宮殿の舞踏会に出席した。世界最高級のレストラン・トゥールダルジャンのシェフとも親交を深めた。
駐在と添乗の仕事で約10年の経験を積むと、東京近県の営業所で責任ある仕事をまかされた。しかし、大きな会社で働いていると、居場所を見失うことがある。ふたりの子供が成人し、仕事でも家庭でも自分の居場所がないように感じた。心の中に、ぽっかりと大きな穴があいた。
そんな時、偶然に新橋で沖縄居酒屋へ入った。オーナーも従業員も、客もほとんどが沖縄の人だった。三線や民謡が流れていた。沖縄の人々と知り合い、オリオンビールや泡盛を酌み交わすうち、坂間さんの心の中に沖縄への興味がわいてきた。住んでみたい、という気持ちが高まっていった。
そしてすべてを清算し、沖縄に渡った。
去年の4月。暑くなり始める太陽が、那覇新港の接岸を照らしていた。
添乗員とは、旅行会社が企画募集した団体旅行に同行する仕事だ。現地でのコースやスケジュールの管理、予約の再確認、交通機関やホテル、レストランの手続きをする。ツアーに参加したお客様が、安全に楽しめるよう各種手配を行っていく。いわばリーダーとしてツアー全体を動かす仕事だ。現在では、大手旅行会社のほとんどが、派遣会社からの添乗員を利用している。
高校を卒業したばかりの18歳の添乗員でも、ツアーではリーダーになる。ツアーに参加したお客様は、大企業の社長であっても、添乗員の指示に従わなくてはいけない。様々な人との出会い、そして様々な地域へ行くことで、視野が広がり情報が入る。仕事を通しお金を稼ぐだけでなく、人生における貴重な経験を得ることができる。
よく間違えられやすいが、添乗員=ツアーコンダクターと、ツアーガイドはまったく別の仕事だ。ガイドはバスガイドなど運送業の中のガイド業務、添乗員は旅行業の中の添乗業務だ。添乗員の正式な名称は、旅程管理資格を持った旅程管理者だ。ツアーの旅程すべてを管理する。
旅程管理資格者(国内・総合)の資格を取得するためには、旅行会社や添乗員の派遣会社に所属し、実務経験を積む。そして、2日間の講習と簡単な試験で取得することができる。沖縄県内に旅程管理者の資格を持った人の数が少ないことには、特殊な事情がある。東京では毎月4〜5回行われている試験が、沖縄では年2回しか行われていない。
来沖した坂間さんは、釣り三昧の生活を送りながら、新橋の沖縄居酒屋で知り合った人のつてで、浦添に部屋を借りた。やがて旅行社時代に付き合いがあった、添乗員の派遣会社の手伝いをするうち、所長として働き始めた。
「大きな組織の中で25年以上働いてきて、最初は自分としての方向性や夢があったのが、途中から分からなくなってしまいました。心の隙間があった時、東京にある沖縄居酒屋で人の温かみに触れ、心が癒されました。
仕事を探している方の中には、自分が将来何をしたいか、分からない方もいらっしゃると思います。添乗員の仕事が、自分の将来を考え、方向性を見つけるひとつのきっかけになればうれしいです」
国内各地には様々な慣習があり、土地それぞれの驚きや喜びがある。さらに世界へ飛び出すと、感動の出会いやエキサイティングな経験が待っている。島の中にいるだけでは経験できないことが、添乗員の仕事を通して体験できる。
坂間さんが新橋の沖縄居酒屋へ偶然入り、第二の人生のきっかけとなったように、添乗員の仕事が、適職探しのきっかけ作りに役立つことを、坂間さんは願っている。
年齢に関係なく、性別に関係なく、様々な立場の人との出会いと触れ合い。添乗員の仕事をすることで、国内各地や世界の様々な場所へ、活躍のステージが広がっていく。