関空発・パリ行きのエール・フランス機が、シャルル・ド・ゴール国際空港へ向け、ランディングの体制に入っていた。眼下に緑ゆたかなパリ郊外の田園風景が広がった。沖縄から関西国際空港を経由し、13時間のフライトを終えた大悟さんは、夢にまで見たパリの地へ降り立った。
歴史に満ちたパリの街並み。石造りの建物や街並みをつらぬく道路網のすごさに圧倒された。
到着した翌々日から、会場でヘアの仕事が始まった。初日はコムデギャルソンだ。全体を統括するヘア・アーティストがデザイナーと打合せをする。ヘア・アーティストはフランス人のトップ・アーティスト、ジュリアンだ。
ファッションデザイナーが髪型について「メデューサ」「女性だけど少年のような女性」「三つ編みを使ってボリュームを出して」など、雰囲気を伝えてくる。それをヘア・アーティストが髪で表すスタイリングを考え、大悟さんたちが仕上げていく。
世界中から集まった技術者とともに、沖縄で技術を磨いた大悟さんの仕事が始まった。技術面では手先の器用な日本人が優れていると感じたが、海外の技術者達の感性の鋭さに刺激された。彼らは頭が柔らかく、ヘアを仕上げるためにいろいろなものを使っていた。髪をとめるピンをたくさんつけてセットしたり、大悟さんがまったく思いつかない方法でヘアを仕上げていた。最終的な仕上がりが一緒なら、様々な方法でヘアが仕上がることに気づいた。
コムデギャルソンの次が、ドリスヴァンノッテン。3日目はズッカとイブサンローランを担当した。次の日がオフで、その次の日はジョンガリアーノを担当。ファッション界の最先端をゆく有名メゾンのヘアをまかされた。数え切れないほどのモデルのヘアを仕上げていった。
ワイルドな風貌の中に、繊細さを兼ね備えた大悟さんは、浦添市で男3人兄弟の次男として生まれ育った。お洒落ができる仕事にあこがれ、美容の専門学校に進学。しかし、華やかなイメージとは逆で、学校でやるのは地味な作業ばかりだった。今の時代に誰もやらないようなカットや、昔からあるパーマの練習ばかりだ。ぜんぜんかっこよくない…と思った。地味だが難しい作業ばかりで、やめていく同級生が多かった。それでも、学校主催のヘアショーで、大悟さんの人とは違った格好いい雰囲気に、北谷の有名店LOYDが目をつけた。LOYDにスカウトされた大悟さんは、就職を決めた。
スタイリストとしてデビューし、那覇で系列店のGRAMがオープンすると、オープニングスタッフを担当した。やがて店長をまかされるようになり、今年で6年目。
そんな大悟さんのもとに、ビッグチャンスが舞い込んできた。
チャンスを掴むには、日々の行動の積み重ねが大事だ。大悟さんは、自分が作りたいもので、アート的な作品を雑誌に発表し続けていた。 大悟さん自身、変わったものが好きで、髪型の常識を打ち崩した、ありえないヘアスタイルを目指していた。発想のヒントは急に思いついたり、カット中でもロングヘアを切っている時に長い髪が残っていたら「残っていてもいいかな…」など、ふと思いつくことが多い。
雑誌で発表したヘア作品を中心に書類選考が行われ、さらにパリコレへ行きたい想いについて作文を提出した。
「選抜された理由は、自分が行きたいと思う気持ちが一番だと思います」
目標に向かって努力している姿、かける情熱が周りの人をひきつけていく。
念願のパリコレで大悟さんがもっとも刺激を受けたのは、ジョンガリアーノのショーだ。普通、モデルがウォーキングするステージは直線だが、ガリアーノのショーではウォーキングする道すじがジグザグだったり、途中がストーリーになって、大仏のオブジェが置かれていたり、お香が炊かれていたりする。さらに事務員姿の人がいて、モデルが話かけたりしていた。
「沖縄から東京へ働きに出る人も多いですが、沖縄からでも世界の舞台に立てることを、自分が行ったことで、伝えられれば最高です」
パリコレを終えて帰ってきた大悟さんは、今までと同じく那覇のGRAMで腕をふるう。ファッション界の最高峰・パリコレで経験したことが、沖縄でひとりひとりに伝えられていく。