高校を卒業すると、学校の紹介で神奈川県の平塚市にある美容室へ就職した。しかし、仕事があわず、すぐにやめて親戚のところへ世話になった。そして、東京でフリーター生活を始めた。居酒屋や花屋で働き、北海道の帯広市へ1月から3月までの3ヶ月間、牛の乳搾りの出稼ぎに出た。帯広はなにもないところで、故郷の今帰仁より田舎だと思った。東京に戻って居酒屋でアルバイトをしている頃、友達の結婚式があって今帰仁へ帰ってきた。ひさしぶりに実家へ戻ると、農業を営む両親が体調を崩していた。家業を手伝うため、良さんは沖縄に戻ることを決意した。
良さんの実家は曽祖父の代から、今帰仁で農業を営んでいる。良さんが四代目だ。5千坪の広さの農場で、菊やゴーヤーなどの栽培を行っている。一人っ子の良さんは、いずれ農業をやると小さな頃から思っていた。
沖縄に帰ってきたのは、菊の出荷の時期だった。高校の時から手伝っていたので、段取りは分かっていた。菊は年末12月と彼岸の3月に出荷する。時期的に需要が多く、高値で売れるからだ。植えつけて育てるまでに4ヶ月かかる。収穫は手でひっぱって折るように収穫していく。収穫したものをクロスで束ねてトラックに積み、トラックがいっぱいになると選別場である倉庫へ運ぶ。6mぐらいの長さがある選別機に、菊の花を1本ずつ置くと、菊がサイズ別にSMLと選別されていく。Lが1ケースで200本、重量と長さで値段が変わるため、収穫の時は根元から折るように注意を払う。
沖縄の風物詩として知られる電照菊。
夜間に照明をつけて明るい状態を長くすることで、植物のホルモンバランスを調整している。花を咲かせず、ある程度の高さまで成長させるため、電気を当てる。電気が深夜料金になる夜11時から深夜2時ぐらいまでの間、タイマーをセットして白熱球で照らす。タイマーがきちんと作動しているか、電気が切れていないか、電球を一灯一灯チェックする。3日に一度はすべての畑を回っている。
菊の出荷が終わると、次はゴーヤーの植え付けだ。菊で使ったパイプやネットを片付け、トラクターで畑を耕す。耕すと肥料を入れ、もう一度耕していく。鶏糞と生糠と肥料と油粕の4種類が元肥(もとごえ)という最初にまく肥料となる。畑の準備ができると、マルチという雑草が生えないように畑を覆うカバーを敷き、ゴーヤーの苗を植え付ける。そして、ゴーヤーの成長を見ながら、液肥を根にかけていく。
ゴーヤーの交配は、雄花をちぎって雌花に花粉をつけていく。雌花の下には小指の先より小さなゴーヤーの実がついている。交配はひとつひとつ手作業で行う根気のいる仕事だ。農家によっては蜂を飼い、蜂を畑に放して交配させるところもある。ただ、蜂に交配させると実が曲がったものでも花粉をつけてしまうので、状態の良いゴーヤーを作るため、良さんはひとつひとつ手作業で交配していく。冬場だと収穫まで3〜4ヶ月かかるが、夏場は1〜2ヶ月で収穫できる。満月の時は花が多く咲くため、その2週間後にゴーヤーの収穫量が多くなる。
ゴーヤーのほかに、シークヮーサーの苗木や、低木(ていぼく)でクワディーサーや桜、そして三線の材料になる琉球黒檀の苗木なども育てている。タルガヨという今帰仁産のみかんも、新たな商品として準備中だ。インターネットで調べてもあまり出てこない、今帰仁の人しか知らないみかんだ
良さんの一日は朝8時から夕方6時頃までが屋外での作業だ。陽の明るいうちが勝負となる。起きたらすぐに顔を洗って畑に出る。ともに農業を営む両親とは、毎晩食事をしながら、その日の状況や翌日の作業について話し合っている。
実際に職業として、農業を始めるにはどうすればよいか、良さんに聞いてみた。
「ビジネスとして農業を始めるには、親がやっていないとむずかしいと思います。設備も必要になってくるので、5千万円ぐらいないと、一人でいきなり始めてできるものではありません。車も必要ですし、消毒するタンクなど様々な設備が必要です。ハウスも実費だと相当な金額がします。自分たちは、北部振興策で補助を受けて買っています。後継者の問題や農作物の価格の変動などで、つぶれている農家があるのも現実です。でも、夏場はハウスの中が暑くなるので、ハウスに入れるのが昼11時ぐらいまでと、夕方4時あとからになり、そのあいだに海へ行けたり、楽しいこともたくさんあります。なにより収穫の喜びが一番でしょう」
会社勤めのように定休日はないが、休みの日にはマリンレジャーや釣りにウェイクボードを楽しむ良さん。今後は自然が大好きな女性を見つけ、親と畑を分けて独立していきたいと語る。
春分の日の昼さがり。インタビューのあと、良さんは友人の結婚式へ出席するため、那覇の泉崎にあるハーバービューホテルへ向かった。独り立ちを目指す良さんの落ち着きが、27歳の顔に表れていた