国頭郡今帰仁村。
アメリカ人の宣教師が作ったアメリカ式住宅で、名城さんは生まれ育った。
戦後、不治の病であった結核にかかったお父さんは、ある宣教師と出会った。世界を変えている聖書を学ぶうち、お父さんは牧師になった。お父さんは名護英語学校にも通い、子供たちへ英語で読み聞かせをした。家ではアメリカの有名な絵本が、名城さんのまわりにたくさんあった。
牧師をするお父さんのまわりには、大勢の人たちが集まっていた。名城さんは幼い時から、人と関わることが生活の中で自然にあった。人と関わっているから話がしたい。心と心を分かち合いたい。そのために必要なのが言語だった。世界中の人と話をしたい気持ちが強くなり、名城さんは自然に英語を学び始めていた。
小学校2年生の時、クラスにアメラジアンの女の子が転校してきた。頭の良い子で、名城さんの良きライバルとなり、良き友人となった。中学に入ると生徒会長をつとめ、高校では英会話クラブに入った。さらに、バスケットや生徒会活動、新聞部の部活などにも熱中した。
そして、大学での5年間が、名城さんの大きな転機となった。
ESS(English Speaking Society)のサークルに入ると、英語漬けの大学生活を送った。一番のイベントが年に一回行う英語劇だ。一年生で『若草物語』、二年生では『トムソーヤの冒険』を上演した。三年生になると、部長とディレクターという立場で、『嵐が丘』を上演した。一年かけて練習し、琉球大学やキリ短にも呼びかけ、当時としては初の三大学英語劇祭を沖縄ジァン・ジァンで開催した。四年生の時には、アメリカから来ている草の根交流団体や著名な劇団の通訳にもスカウトされた。
社会に出た名城さんは、インターナショナルスクールに就職した。アメリカの子供たちに、英語を使って日本語を教える仕事だ。自分は教育者になりたい。社会人としての方向性が見えてきた。
名城さんは高等専修学校に職を得て、英語を教え始めた。集まってくるのは、中学の卒業式に出席できなかった生徒たちだ。寝る間もなく、がむしゃらに働いた。しかし、生徒の人数が多く、時間が追いつかない。この頃から、ひとりひとりの個性を大切にする、アメリカの教育の素晴らしさを実感してきた。将来自分が作るスクールでは、日本の学校では実現できない教育をしてみたい。
社会人としての言葉づかいや動きに磨きをかけるため、一流ホテルのパレスオンザヒル(現・那覇テラス)でも働いた。
その後、地元でキビ刈りの手伝いなどをしながら、人生について考えた。今帰仁のある陶芸家を訪ね、将来についての夢を話した。
「自分は名護に語学スクールを作り、幼稚園児から小中学生や大人まで、生徒を世界に羽ばたかせたい!」。その夢は、やがて実現していく。
「名護・英会話講師求む」。ある求人広告を見つけた。様々なスクールを経営する学院長のもと、考えていた教授法をすべて試した。成果があがり、生徒数も増えた。しかし、学院長の多角経営で、学校は3年でつぶれた。無職となった名城さんは「何をしたらいいだろう…」と考えた。今までやってきた英語を生かしたい。弟とふたりで名護じゅうを回り、スクールとして使える場所を探し始めた。
1993年、ウイング英会話スクール設立。名城さんが31歳の時だった。
様々な教育現場で教職を経験する中、暖め、考え、求めていた、人格教育を核にすえた語学教育を実現するチャレンジが、スタートをきった。狭い地域や立場にとらわれない国際人・地球人。ミクロ的かつマクロ的な視点で、平和的発想のできる人=コスモポリタンの育成を目指し、様々な外国語の特別講座も開いていく。
2000年の沖縄サミットでは、外務省の臨時職員にも採用された。そしてイタリアとの同時通訳を担当。2001年からはスクールの経営と並行して、名桜大学の大学院に通った。修了すると、非常勤講師として同校で教え始めた。
ウイング英会話スクールの設立から15年。英語ができるようになるにはどうすればよいか、名城さんに聞いた。
「まず自分を愛すること。そして、人を好きになることでしょう。人間が好きであるということは、自分が好きというのが一番にあります。人間が好きでコミュニケーションができる。そして、相手の人間を分かりたいという強い想い。そして、自分のことを伝えたいという想い。このふたつが強ければ強いほど、自然に心が通じ合っていくものです。
それと、英語を学ぶのではなく、英語で、学んでください。英語を使って、自分の好きなことを学ぶようになるのが理想です。英語ができると、生きていく世界が違ってきます。直接読んだり話したり主張したり、これが政治経済や映画、ファッションなどの中にどんどん入っていきます。世界がどんどん広がって、人生が豊かになります。そういう若者が増えると、日本はもっともっと輝いていくと思います」。
ひとりひとりの生徒の夢をかなえるのが自分の夢、と名城さんは語ってくれた。