アイスクリンは、家庭の手作りに近いまごころ込めたアイスだ。大手メーカーが量産するアイスと違い、発泡剤や安定剤や防腐剤が入っていない。粘着剤も使っておらず、ほとんど無添加に近い状態だ。マイナス40度の冷凍庫の中でカチカチに冷やしたアイスクリンは、道ばたの保冷庫でマイナス30度をキープする。
「ただし、電源がないパラソルショップのため、午前中から午後2時ぐらいまでが、特に保冷状態が良くオススメです」と、上間さんは語る。その日の分をその日に売り切るので、いつもフレッシュなアイスクリンが楽しめる。
海洋博覧会の開催以前から親しまれているビックアイスは、アイスクリームとシャーベットの中間に位置する、アイスクリンという冷し物だ。乳脂肪分のパーセンテージで、アイスクリームとアイスクリンに分類される。
週末の朝5時半。アイスクリン製造所に、スタッフが集まってくる。ワゴン車1台1台に保冷庫やパラソルを積み、6時に出発。高速を走って、7時半には南部へ到着している。各ポイントでアルバイトの学生と合流し、パラソルショップを設営していく。暑い暑い沖縄で、焼けつく陽射しと青空に映える青と白のパラソルは、道ばたに咲くドライバー達のオアシスだ。
青と白にカラーリングされた保冷庫から、女の子がコーンにアイスクリンを盛り付けてくれる。コーンの奥までアイスクリンがたっぷり入り、味はバニラとシークヮーサーの2種類で、ダブルで200円だ。
時代のニーズに合わせて、紅芋、タンカン、田芋、グァバ、マンゴー、ハーブなど、様々な種類のアイスクリンを作ることもできる。
上間さんは、今帰仁村で生まれた。家業の建築業を手伝うため、東京の建築専門学校へ進学。しかし、父の会社が倒産した。すぐに帰沖して建築業やタクシー運転手など、様々な仕事をかけもちして、借金の返済を手伝った。仕事のひとつに、アイスクリンの販売があった。卸元からアイスクリンを仕入れ、建築業と並行して行った。朝、道ばたにパラソルショップを設営し、アルバイトを配置する。建築の仕事を終えた夕方に、巡回して撤収した。焼けつくように暑い沖縄で、冷たいアイスクリンは人気があった。車から降りずに買える利便性は、ドライブスルーの先駆けだった。「これはいける!」と、上間さんは思った。
そして25年前、辺戸岬の手前に沖縄一長い宜名真トンネルが開通した。当時は大型ショッピングセンターもなく、遊びに行くのは国頭など郊外がほとんどだった。沖縄一長いトンネルを見ようと、大勢の人が国頭へ集まってきた。上間さんはアイスクリンの元締めに、国頭線で販売する権利をもらった。すると、かつてないほどの売上があがるようになった。青と白のパラソルを見て人が集まり、ショップを設営するとすぐに売り切れた。商品がすぐ無くなってしまうほどの人気だった。
「アイスクリンの製造販売権を買わないか」と、卸元のオーナーが言ってきた。若くて会社経営をしたことがない上間さんは、悩みに悩んだ。しかし、思い切って権利のすべてを買い取ることにした。
上間さんが、29歳の時だった。
それから24年。ビックアイスは多くの人達に、愛され続けている。
上間さんは現在、アイスクリンの次なる展開として、東シナ海を見渡す本部の高台にあるスタッフの家をスタッフとともに運営するため、自分の手で増改築している。地上4階、淡いピンク色をしたヨーロピアンな建物だ。全く新しく生まれ変わったくつろぎの空間になっている。豪華客船のデッキを模した見晴らし良いテラスから、右手に海洋博公園、正面に珊瑚礁、左手に渡久地港の町並みが見える。海の向こうに伊江島、水納島、瀬底島、そして恩納村のビーチサイドが見渡せる。うしろの山側へ振り向くと、八重岳と本部富士に嘉津宇岳と、ヤンバルの代表的な山々が連なっている。
海が見え、島が見え、港が見え、山々が見える。夜は、町の灯りと星空がきらめき、海面に曳航の光が点滅する。沖縄の魅力、良さがすべて凝縮された、バランス良い最高のロケーションだ。沖縄風のシーサイドな庭も自分で造っている。
「この場所をアイスクリンの新しい拠点として、カフェやレストランをオープンし、手作りのこだわったアイスクリンを、ゆっくり寛いで食べて頂きたいです」と、上間さんは語る。
将来的には、船に乗った気分で洋上結婚式のような、フルパーティーができる空間に仕上げていく計画だ。
道ばたのパラソルショップから始まったアイスクリンは、大きな夢となって広がり続けていく。
