「宮城県で建築設計の仕事をしている時、宮城県で仕事をしていた沖縄出身の人と知り合いました。その方の会社の、初代の社長がお亡くなりになり、宮城県にいたその方が沖縄へ帰ることになりました。それで、私も沖縄へ行って、一緒に働くことにしました。
それまで、旅行で一度だけ沖縄に行ったことはありましたが、34年前の沖縄は今とはまったく違って異国でした。
会社が探してくれた沖縄市の住宅に住み、沖縄での生活を始めました。

嘉手納にある建築会社で、設計と現場管理の仕事をしました。その頃まわりに宮城県の出身者はいませんでした。しかし、建築関係で働いている人の中には、本土の出身者が多くいました。
沖縄で暮らし始めて、最初にとまどったのは食事と言葉です。当時は方言を使う人が多く、方言で話されると全然分かりませんでした。32歳の時に、中部出身の女性と職場結婚をしました。
そのような中、20年ほど前から年に2回、ホヤ・パーティーを開催しはじめました。ホヤは『海鞘』と書く宮城県の海産物です。パイナップルに似た独特の形状から『海のパイナップル』と呼ばれています。新鮮なホヤを、故郷の宮城県から取り寄せ、興味ある方を誘って楽しんでいます。当初は30名ぐらいから始まり、今では40名近くが集まるようになりました」
「建築の仕事では、主に地区計画にたずさわっていました。特に空間デザイン関係で、街づくり的な開発を多く行いました。たとえば、ひとつの山をどのように活用していくかの企画立案をすることもありました。地域の総合開発の企画立案など、大きな土地の有効活用のコンサルティングなどをしました。
そして、平成3年に宜野湾市で、一級建築士事務所の(有)コーヨウ企画を設立しました。当初は4名からのスタートでした。
土木の設計管理や、住宅やアパートの設計管理などから始まり、不動産にかかわる様々な仕事へ業務をひろげていきました。
沖縄での長年の経験と実績、そして多方面にわたるネットワークで、不動産購入における物件の調査から、プラン作成・資金計画・企画書作成、そして物件の紹介まで、お客様に最適な不動産コンサルティングを行っています。
また、土木・建築設計では、広い分野にわたって、それぞれの部門の豊富な技術と経験を十分に生かし、あらゆるニーズに応えられるよう、生活空間の創造を提案しています。
沖縄で生活を始めて34年。宜野湾で会社を設立してから17年になります。
沖縄と本土では生活のペースが違いますので、県外からの移住者が、本土の生活スタイルを持ち込もうとすると無理が出ると思います。ギャップがあるし、カルチャーショックで沖縄文化に馴染めないこともあるでしょう。長く続けるには、地元の人たちのペースに合わせることが一番だと思います」
「4年前に泊の県漁連で『全国うまいもの市』が開催され、各都道府県の名産物を沖縄の皆さんに楽しんでもらいました。宮城県からは名物の笹かまぼことずんだ餅などを取り寄せました。ずんだ餅は枝豆をつぶして甘く味付けしたあんこを、餅にまぶして食べるものです。
そして3年前、摩文仁の丘にある慰霊の塔で、鯉のぼり掲揚式を行いました。全都道府県の慰霊塔と礎に鯉のぼりを掲揚し、戦没者の慰霊と子供たちの健康を願いました。
それがきっかけとなり、宮城県の県人会を設立しようという動きが広がりました。
『沖縄・全国ふるさと会』として登録されている中に、北海道、秋田、山形、栃木、東京、静岡、山梨、長野、愛知、島根、広島、山口、徳島、、愛媛、福岡、大分、熊本、鹿児島の各県人会があります。
宮城県は、東北一の都市・仙台があるのに、沖縄で県人会がありませんでした。宮城県の出身者が集まる中、いずれ宮城県の県人会を作りたいという話が出てきました。
そして今年の1月、宮城県人会を発足しました。今後は宮城県の商工会とタイアップして、宮城県のPRや特売会、また11月には慰霊祭がありますので、宮城県から来る人の受け入れや塔周辺の清掃、さらには平和祈念鯉のぼり掲揚事業などに参加して、会員相互の親睦を深めていきます」