日本選手権ではじめて優勝した1997年は、仲里さんにとって思い入れのある年だ。この年、仲里さんは障がいのある人を、大空へ案内した。
同級生の紹介で「空を飛んでみたい」という障がい者に出会った。実際に会ってみて、仲里さんは驚いた。筋ジストロフィーの患者で、筋肉が萎縮して、車椅子に乗っていた。100%飛ばすことができない、責任が持てない、と思った。しかし、別れてから熱心に電話がかかってきた。
「僕は、いつ飛べるのですか?」
普通の人であれば、すぐに空へ案内することができる。しかし、車椅子の人を空へ案内したことがない。30回近く断り続けたが、やがて夢にまで出るようになってきた。
「なんとかしなくてはいけない…」
できるだけのことはしてみようと、仲里さんは車椅子の彼を訪ねた。
30歳ぐらいのその人は、もとは病院の療養所にいたが、療養所にいると死ぬまでここにいるはずだと、自分たちでアパートを借りて作業場を作り、印刷の仕事をしていた。仲里さんは心うたれた。車椅子を見せてもらったが、バッテリー式で100kg近くある。その重量を飛ばすことはできない。車椅子に専属の技師がいるはずだ。紹介してもらうと、車椅子の世界で有名な技師が沖縄にいた。そして、10 kg以下の軽量な車椅子を作ることができた。
その時から、飛ばすことを前向きに考え始めた。ありとあらゆる安全対策をほどこし、飛行経験のあるクラブ員を車椅子にのせて、何回も何回もテストをかさねた。
そして、ようやくゴーサインを出した。
車椅子に乗った彼を抱え、道路から約200mの山道を、みんなで山の上までかつぎあげた。背中にエンジンをつけたパラモーターで、仲里さんがうしろについて、車椅子の彼に完璧な安全装備がセッティングされた。
「必ずあの地点に降りるから頼むよ」
クラブ員と綿密に打ち合わせて、仲里さんは車椅子の彼とともに宙へ舞った。車椅子の彼は大空へと舞い上がり、空を飛ぶ鳥の視点で世界を見た。
車椅子の彼を大空に飛ばすため、何回も何回も繰り返したテストが、その年の日本選手権の優勝に結びついた、と仲里さんは振り返る。
仲里さんは、小中学校と野球三昧の生活を送った。しかし、高校進学の時に大きな病をわずらう。療養しながら高校生活を送り、運動部をあきらめた。文化部の生物部に入り、蝶を追いかけていた。入退院しながら高校を卒業すると、はたちになっていた。東京の臨床検査技師の専門学校へ進学し、病院で働きながら夜学に通った。
そして、帰沖して病院に就職。その頃、ハンググライダーと出会った。24歳の時だ。ハンググライディングマガジンなど専門誌を読み、大会へ出るようになると、病院勤務が難しくなった。親戚のアルミサッシ工場に転職し、仕事が終わるとハンググライダーの機体製造に没頭した。やがて、いつも飛んでいるので、興味を持った人が教えてくれと頼みにくるようになった。
そして20年前。佐敷町の月代にある高台で、空を飛ぶことが好きな人たちの集う場所として、スカイ喫茶をオープンした。店は軌道にのったが、朝10時に店を開け、夜7時まで営業すると、客がいなくても店を開けていなくてはいけない。
自分の夢はなにか、本当にやることはなにか。空を飛ぶのが、自分の夢で天職だ。店をやっていると、夢の実現に支障がでた。それで、店をやめてスカイスクールを始めた。さらに、パラモーターによる空中撮影を始めた。
今から10年前。仲里さんが44歳の時だった。
仲里さんのショップ&スクールは、佐敷町の月代の見晴らしが良い標高150mの高台にある。正面に佐敷の平野と中城湾が広がり、左手には与那原から西原へ向けての町並みが見える。右手には、知念村の山並みが連なっている。ショップ北側の斜面には、すぐそこからフライトできる鉄製の滑走台が設けられている。風向きにより、直線距離で15q以上ある喜屋武岬まで飛んでいくことも可能だ。スクールには、小学4年生から74歳の人まで、様々な職業の人が足を運ぶ。
「沖縄は離島県なので、360度を海に囲まれています。その中で、風がどの方向から吹いたら、どこへ飛べるか。風向きを知るために、僕らが一番最初に見るのは、海に停泊している船の向きです。船の舳先がどちらへ向いているか。停泊する時、船はアンカーをおろして、鎖がぴーんと張ります。張っているうちに抵抗を与えられ、一番抵抗のいいところへ舳先が向きます。ですから、停泊している船は、みんな同じ方向を向いています。そして、雲の流れ。どこからどこへ流れているか。流れている方向を見れば、風向きが分かります。インターネットの天気予報や、新聞、そして携帯から検索したり、様々な情報から風向きを知ることができます」
昨年、仲里さんはパラモーターの日本選手権で、2度目の優勝を飾った。
「大会には、北から南までベテランやプロが集まり、人との交流が密にできます。コミュニケーションをとって、いろいろ吸収して、それをまた生徒達に教えています。年に一回は参戦して、目標に向かって戦っていきます」と、仲里さんは少年のような笑顔で語る。
蝶を追っていた少年は、やがて自らの夢を追って、風とともに大空を飛び続けている。