屋比久さんが、高校を卒業して最初に入社した会社は、1年後に倒産した。
「やはり安定した会社がいいのか…」と考え、英語を勉強して軍雇用員を目指した。米軍基地は人気が高い職場だ。当時、倍率は100倍を超えた。採用されることが先決と考え、皿洗いとして嘉手納基地に入った。半年後にウェイターとなり、徐々に希望の部署へと移動していった。
基地の中は給料も労働条件も最高だった。米国人の上司も温かく接してくれ、仕事にも人間関係にも不満はなかった。しかし、なにか生きがいというか、自分にしかできない天職が、ほかにあるはずだという思いがあった。
屋比久さんは、休日を利用して様々な講演会へ通った。西原町で開業している鍼灸師(東洋鍼灸院院長・喜納達也先生)が、興味深い勉強会を開いているという情報をキャッチした。講演会に参加した屋比久さんは「これだ、やっと見つけた!」と思った。 筋反射のO―リングテストについての話で、O―リングテストとは、親指と人差指等でつくった丸い輪が、開くか開かないかによって、目に見えない体内情報を検出する診断法だった。病的なところに刺激を加えたり、体に合わない薬を手にのせると、即座に指の力が入らなくなる。ニューヨーク心臓病研究所やシカゴ医科大学の教授をつとめる大村恵昭博士が創始した画期的な病気診断法だ。アメリカ特許庁から知的所有権の認可も受けている。患者自らの体をセンサーとして、体内情報を指の筋力変化によって検知することができる。
O―リングテストを目の前で見た屋比久さんは、先生を師と仰ぎ、ついて回るようになった。自分からすすんで、先生の鍼灸院の片付けや手伝いをした。どうしたらその職業につけるかを先生に聞いた。
鍼灸師になるためには、3年間専門学校へ通うことが必要だった。鍼灸師の専門学校が沖縄にはない。基地を3年休職して、学校へ通うことは不可能であり、また復職という甘い気持ちもなかった。軍雇用員という安定した職業を持つ屋比久さんに対し、先生は鍼灸師を目指すことを反対した。
しかし、決意は固かった。鍼灸師の専門学校へ通う学費は、半年間で約60万円。3年間の学費と参考書代で、400万近くの費用が必要だった。貯えはなかったが、家族の援助と基地で7年働いた退職金が役に立った。先生の紹介で、名古屋の専門学校へ進学を決め、家族を連れて名古屋へ渡った。
授業は午前中のみで、午後は鍼灸治療院と耳鼻咽喉科で働いた。喜納先生の師匠で、O―リングテストによる診断を実践している樋田和彦博士が、名古屋で耳鼻咽喉科を開業していた。治療院での仕事と並行しながら、樋田博士のもとで助手として働き、O―リングテストを、実地で勉強することができた。
屋比久さんは、名古屋で3年間の修業を経て、鍼師と灸師の国家資格を取得した。

国家試験に合格すると、鍼灸院の独立開業権がもらえる。樋田博士のもと、「高麗手指鍼法(こうらいしゅししんほう)」という、てのひらツボ療法の技術もマスターした。「手は全身の縮図である」という理論のもと、全身のツボが集約されているてのひら各部を刺激することで、患部を直接刺激するより劇的な効果をあげる治療法だ。
去年4月に帰沖した屋比久さんは、5月に開業手続きを申請。すぐに患者が来るわけではないため、6月から今年1月まで老人保健施設でリハビリ助手として働いた。
そして今年2月。屋比久さんは、那覇市曙に治療院を開設した。基本は患者の家に往診するスタイルだが、往診を好まない患者もいるため、アットホームな治療のスペースを設けている。
屋比久さんの治療は、O―リングによる診断が基本だ。診断した患部に対し、高麗手指鍼法で、てのひらのツボへ鍼をうつ。患部に直接鍼をうつより、劇的な効果があがる。
屋比久さんの名刺には、「病気も健康のうち」という言葉が印刷されている。屋比久さんの大師匠である樋田博士による言葉だ。
「体には、正常へ戻ろうとする本来の働きがあります。病気や症状とは、体が健康な状態へ戻ろうとする過程の一つだと、前向きに考えてみましょう」
若き鍼灸師である屋比久さんの技術が、地元の多くの人の健康に役立ち始めている。