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07年3月7日号
荒川淳さん

荒川淳さん
【プロフィール】 1970年生まれ。東京都出身。
中学卒業後、定時制高校に通いながらオートバイのレーサーをめざし、資金集めのために働きはじめる。これまでに就いた仕事は、旋盤工、清掃業、タイル屋、車のボディ加工など。オートバイ関連会社の転勤で2002年に来沖。現在、ジュニアゴルフの沖縄ブランドの開発及び法人化に向けて準備中。ドリームゲートビジネスプランコンテスト沖縄エリア代表。
『仕事は言われる前に動いてこそ、 経験として身につく』
 今年一月に行われたドリームゲートビジネスプランコンテストで沖縄エリア代表に選出された荒川淳さん。「ジュニアゴルフの本場沖縄から全国へ」と題したビジネスプランは、ジュニア用ゴルフクラブを沖縄ブランドとして開発・販売するものだが、実際に愛娘にゴルフレッスンを受けさせるなど、親の立場にたったきめ細やかな提案が評価を得て、東京にて行われるセミファイナルへの切符を手にした。
「今回のビジネスプランは、僕がゴルフの素人だったからできた発想です。沖縄のジュニアゴルフのイメージは宮里藍選手に代表されるように、親子の絆が強いのが特徴。そこに着目し、ただ単にジュニア用ゴルフクラブを作るのではなく、親が子どもに指導できる方法も提案する。すなわち親子のコミュニケーションツールとして位置づけました。さらに大量の受注にも対応できる生産ルートも確保し、実現に向けて細やかに案を練ったのが評価されたのかもしれません」
  自身のミクシィサイトでも書いているように、子どもの頃から発想家・発明家・空想家だったという荒川さん。仕事をするときも常に考える習慣がいつしか身につき、指示待ちではなく与えられる前に行動していたという。
  社会人デビューは中学卒業後。オートバイレーサーになりたくて、資金を稼ぐために定時制高校に通いながら町工場の旋盤工として働きはじめた。その後、ビルメンテナンス会社を経て、十七歳のときには、友人のお父さんが経営する外壁工事関連会社に入社。昼食後は休むことなく、見様見真似でタイルを貼るなど技術を磨いた。
  この頃、オートバイレースは独学で続け、レースにも出場していた。練習場を借りるのは自費。しかも借りられるのは毎月せいぜい30分ほど。そんな過酷な条件でもやめたいと思うどころか、レースで食べていくために卒業を目の前に学歴を捨て、自らにプレッシャーを与えたが、十九歳のとき大事故に遭い、練習もままならない状態になってしまった。
  そんな中、お兄さんの紹介で車のボディデザイン、製作を手掛ける会社へと転職。仕事が忙しくなりオートバイレースから遠ざかる一方で、諦めきれずにスポンサー探しのために、銀座の夜の世界へと飛び込んだ。シビアな世界だったが、ママさんたちからは、仕事とは指示されてからやるのではなく、自らの気持ちで動くものだということを教えられた。
  一度で客の顔や酒の好みを覚え、タイミングよくタクシーを手配するなど、思いつくかぎりのサービスを提供したという。しかし、バブルが弾けてしまいスポンサー探しが難航したこと、年齢を重ねてこの世界に染まりたくないという思いから辞めることに。その後は神宮球場近くで明石焼き風たこ焼き屋の開業、車やバイクエアロパーツのデザイン・製作などを経て、オートバイのエンジンメーカーに就職。商品企画から中国への製造発注など経営幹部として勤め、オートバイのレースからは遠ざかっていった。
 
 荒川淳さんそして六年前、転勤で来沖に。中城の沖縄特別自由貿易地域にある工場で管理者として働いていたとき、経営不振に陥り事実上の倒産。定職につかず、これまで培ってきた技術を生かしアルバイトなどで過すも、悶々とした日々を送っていた。 「沖縄に来てから、自分の力の及ばないところで失敗していたので、すっきりとしませんでした。そこで勉強しなおそうと沖縄県商工会連合会主催の創業塾ステップアップコースに入塾したのですが、これが大きな転機になりました。創業塾は実践的で、実際にビジネスプランを立て、その可能性を探るために毎週、皆の前での発表するというもの。この繰り返しで、少しずつ自分のやるべきことが見えてきました」 自由貿易地域時代に、ゴルフメーカーの経営者と知り合い、「沖縄ブランドを作ってみたら」と言われたのを思い出し、ビジネスプランを練ることに。こうして荒川さんの人脈、技術、経験、そして沖縄という土地が融合された「ジュニアゴルフの本場沖縄から全国へ」ができあがった。 沖縄エリア代表者となり、今や時の人として注目されているにもかかわらず、本人はいたって自然体。あるがままに事実を受け止め、なおかつ目の前のことに一生懸命取り組む。それはこれまで歩んできた職歴となんら変わらず、荒川スタイルを通しているのだった。荒川淳さん
荒川淳さんのターニング・ポイント・マップ
1986年 15歳 オートバイレーサーをめざし定時制高校に通いながら
、町工場で働く
1987年 16歳 より給料の高い業種としてビルメンテナンス会社に転職。 清掃業務に就く
1988年 17歳 同級生の親が経営する外壁工事会社に転職。 自ら率先して技術を学ぶ
1989年 18歳 レースで食べていくことを決心し、高校を中退する
1990年 19歳 大事故に遭い、1カ月の入院。オートバイにも乗れず、 仕事も辞める
1991年 20歳 お兄さんの働く会社に紹介で入社。 車のボディーデザイン・制作を手掛ける
1992年 21歳 オートバイレースのスポンサーを探すため、 銀座の夜の世界へと飛び込む
1993年 22歳 神宮球場近くで、明石焼き風たこ焼き屋をオープンする
1994年 23歳 オートバイの部品をつくる会社を開業する
2000年 29歳 オートバイのエンジンをつくる会社に入社する
2002年 31歳 転勤で沖縄に来る
2005年 34歳 会社が倒産
2006年 36歳 創業塾に入塾し、ビジネスプランを練る
2007年 36歳 ドリームゲートビジネスプランコンテストにて
沖縄エリア代表に決まる
荒川淳さんより転職を考えている方へ

 「これまでに町工場、清掃業、タイル屋、銀座の夜の仕事などさまざまな仕事に就いてきましたが、自分なりに一生懸命勤め、やり残したことはないと判断したので、次のステップとして転職をしました。いろんな仕事をすることは悪いことではないと思います。ただ働いて給料を受け取る以上は自分から率先して動くこと。自ら積極的に働くことで経験として身につきます。経験することで発想の幅が広がり、他の業種に転職したときにも役立ちます。言われてから動くのではなく、言われる前に動く。指示待ちではなく、自ら指示を聞きにいくくらいの心づもりが必要だと思います。」

お仕事紹介

荒川淳
うるま市石川2313-3 石川地域活性化センター舞天館
沖縄SOHOサポートセンター内
TEL=098-965-4585 MAIL=air-air@bbplus.jp
「ジュニアゴルフの本場沖縄から全国へ」と題したビジネスプランで企画した商品は、ゴルフクラブセットに親が教える基礎指導DVD付き。親が教えることで、大人になってもなんでも相談できる良好な親子関係を築くことも狙いのひとつ。またゴルフという個人競技を通じて、問題解決能力を身につけることもできます。ゴルフ専門店だけではなく、未経験者の親や祖父母でも手にしやすいようにホームセンターでも販売できる価格設定を考えています。ゴルフ王国といわれる沖縄独自のブランドとして全国へと売り出すために準備中です。

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