
有限会社KENSEi 大城憲誠さん
1968年生まれ。那覇市出身。
琉球大学理学部物理学科卒業後、大手ソフトウェア会社にて、大手百貨店の中国店のシステム開発などを手掛ける。退職後、個人でソフトウェアの開発を請け負うようになり、2005年、有限会社KENSEiを設立。現在に至る。
大手ソフトウェア会社から独立し、3年前に有限会社KENSEiを設立した大城憲誠さん。
県外の大手企業のソフトウェア開発を請け負う一方で、中小企業が多くしめる沖縄において、個々の会社にあったソフトウエアの開発にも力を注いでいる。
「大手企業であれば、自社内にシステム部門を置くことができますが、中小企業にはその余裕のない会社も少なくありません。そこで自社内で開発できるエンジニアを育てる人材育成事業を計画中です。
簡単に言ってしまえばパソコン教室のようなものですが、ただ技術を教えるだけではなく、それぞれの会社が必要としているシステムを一緒に開発しながら、人材を育成していくのが目的です。
何か不具合が生じたときには、自社内にエンジニアがいるので、迅速な対応も可能になり、中小企業のレベルアップにもつながると確信しています」と新たなビジネスプランを語る大城さん。沖縄に注ぐ温かなまなざしが印象的だ。
大城さんがコンピュータ業界に入ったのは、大学卒業後。就職活動期は1980年代後半。時はまさにバブルが弾ける直前。売り手市場の真只中。
SE(システムエンジニア)がどんな仕事をするのか分からないまま、「これからはコンピュータの時代」という言葉を耳にし、大手ソフトウェア会社に就職した。
入社後、配属先は「海外グループ」を希望した。「どうせ学ぶなら、最先端を行くアメリカで経験を積みたい」という考えからだったが、結果は、同じ海外グループでもアジア諸国だった。
自らの思惑とは異なる誤算もあったが、アジアでの経験が、現在への高みへと導く礎になっていることは明らかだという。
「タイを皮切りに、上海、北京、成都へと派遣されました。担当したのは大手百貨店の中国向けのシステム開発です。
当時は、SEやプログラマーという明解な境界線がありませんでした。プロジェクトチームのメンバーは5、6名で編成され、メンバー全員がヒヤリングから分析、設計、開発、テスト、導入、そしてサポートまで一環して行っていました。
システム開発の1から10までを担当することで、自らの知識と技術の習得に結びつきました。今のように分業化されていると、スペシャリストが育つ一方で、キャリアアップは難しいのが現状です。
そういう意味では、ラッキーだったと思います」とは言え、そこには図りしれないほどの苦労やエピソードが隠れている。
言葉も文化も、仕事に対する取り組み方も異なる中国での仕事は、忍耐の一言に尽きるほど、厳しいものだった。
まだメールも整備されていない時代、中国で導入テストを行うため、資料のキングファイルを両手いっぱいに抱え、飛行機に飛び乗ったこともあった。
現地に着いてからは、体力勝負。決められた期日内で仕事を終えるため、24時間体制で挑んだ。
お金にシビアな中国企業は、就業時間外は節約のため暖房を切った。ガタガタ震える極寒の中、コートを身につけ夜中までコンピュータを前にすることも日常茶飯事だったという。
しかしこうした企業とのやりとりや中国人スタッフの管理に携わる中で、コミュニケーション力を身に付けたもの事実。
「このときの経験があるから、今がある」という大城さんの言葉にも実感がこもる。
流通業のシステム開発に携わること8年。大手メーカーに勤め、大手企業の開発を担当するにつれ、大城さんの目は、沖縄の小さな企業へと向いていった。
「小さな会社では、大きなシステムを導入する資金がありません。でもそんな会社こそ、業務を円滑にするシステムを必要としているんです。これまでの自分の経験を生かし、沖縄の中小企業の手伝いをできないかと思ったのが、独立するきっかけでした」
30歳のときだった。会社勤めを続けていく上での転換期でもあった。組織内ではリーダーとしての役割が求められる年齢。そこに自分の価値を見い出すのか、それとも別の方向に進むのか、まさにターニングポイントだった。
結婚はしていても、子どもがいなかったこともあり、チャレンジできる年齢だと思い、「今しかない」と決断。2000年に独立。
2005年に法人化した「有限会社KENSEi」の理念は、「小さく産んで大きく育てるシステム屋」である。大きなシステムを導入できない小さな会社でも、コツコツと積み上げていけば、どんなシステムにも負けない独自のノウハウとなる。
そんな理念のもと仕事に取り組んでいる。現在、県内のソフト会社のほとんどは、県外の請け負いをメインとする一方で、大城さんがめざすところは、かゆいところに手が届くシステム屋。
「魂のごちそう」を頂くために働いているという。「採用面接のときに、何のために働くのかと必ず聞くようにしています。
私の場合は、お客さまから頂くありがとうという労いの言葉こそが、魂のごちそうであり、仕事を続けていく上でモチベーションにつながっています。
なので一緒に働くスタッフにも、常に何のために働くのか考えてほしいと願っています」と語る大城さん。
その思いは、この限られた紙面から、こぼれ落ちるほど熱く、日進月歩のコンピュータ業界にあって、流行に流されることなく、ゆるぎない力強さを感じさせてくれた。
▼大城憲誠さんのターニング・ポイント・マップ
【1987年 18歳】
琉球大学理学部物理学科入学
【1991年 22歳】
大手メーカーに入社
【1992年 23歳】
海外グループに配属され、タイ、上海、北京、成都などで大手百貨店の中国向けシステム開発に携わる
【1995年 27歳】
自分のアイデアを生かしたソフトを開発したいと考えるようになる
【1996年 28歳】
配属先が県内ユーザーに変わる。独立を視野に、県内の動向を探る
【2000年 31歳】
TURNINGPOINT!
30歳を機に新たな道にチャレンジするため独立
個人でソフトウェアの開発を請け負うようになる
【2005年 36歳】
有限会社KENSEiを設立。経営者としての第一歩を踏み出す
▼大城憲誠さんよりメッセージ
常に「何のために」を考えるように心がけています。私はお客さまに喜ばれる、「魂のごちそう」を頂くために働いています。
お客さまに喜ばれる会社を継続するためには、経営者の立場として、利益を出すという目標もあります。
転職はスキルアップのチャンスです。ただ仕事が嫌になったからという理由で転職を続けていても、スキルアップにつながらないのではないでしょうか。
「何のために」働いているのか、目標・目的を持っていれば、転職の道しるべにもなります。
また日常業務においても「何のために」が頭の中にあれば、問題にぶつかったときに解決の糸口にもなります。
▼お仕事紹介
「有限会社KENSEi」
住所=宜野湾市字宇地泊558-18 宜野湾ベイサイド情報センター3F
電話=098-942-8774
HP=http://www.kensei.biz
「Start small and make it better.(小さく産んで大きく育てるシステム屋)」として、お客さまのニーズに対して、かゆいところに手が届くコンピュータシステムの開発をめざしています。
具体的には、業務管理システムの設計・製造・導入をはじめ、社内での情報共有システムの構築、ネットビジネスやホームページ作成などwebサイト構築により、販路拡大のお手伝いを行っています。
各企業に必要なシステムを開発するためには、企業内にSEを置くことがベターですが、資金に余裕のない中小企業のために、自社内に開発エンジニアを育てる、人材教育を計画しています。




