
有限会社コンピュータケア 代表取締役大高邦男さん
1971年生まれ。東京都出身。
ペンシルバニア州ピッツバーグ大学卒業。日本IBM(株)のSE、インターネットによる映像配信会社(株)ロペを経て、2002年、沖縄にて(有)コンピュータケア設立。現在に至る。
パソコンのトラブル、定期メンテナンス、新規パソコンの購入、増設、設置作業、インターネット接続作業、周辺機器の増設など、コンピュータに関する悩みを専門用語を使わず、分かりやすく解決・サポートするのがコンピュータケアのミッションです。
例えば、専任のシステム担当者を配置する余裕のない企業に代わっての運用管理をはじめ、日々のPCトラブルの解消など、各企業の環境や症状に合わせたサービスやケアを提供。電話診断・回答するテレフォンケア、遠方や時間のない方向けの遠隔治療、訪問ケア、トラブル未然防止のための定期メンテナンスなどのメニューで対応しています。
「縁があって沖縄で仕事をさせてもらっていますが、出会う場所、人、仕事など、自分を取り巻く出会いの全てが必然に思えてくるんです。ここ沖縄でいろいろなことを学ばせてもらっています」と語るのは、(有)コンピュータケア代表の大高邦男さん。
コンピュータ業界最大手の日本IBM(株)にSEとして5年間勤め、さらに仲間と一緒に設立した映像配信系の会社では、ユーミン(松任谷由美)のコンサートのネット配信の企画・構築・運営に当たるなど、コンピュータ業界にあって、輝かしい実績を誇る大高さん。沖縄とは比較にならない大きなマーケット・東京で、しかも最前線で活躍してきたにも関わらず、現在の沖縄での学びは、人生において貴重な体験だと断言する。しかしこれまで歩んできた道のいずれも、「自分にとって(ターニング)ポイントだった」とも付け加える。
中・高校時代は、「学問そっちのけで毎日(サッカー)ボールを追っかけていた」という。強剛チームだったため普段からレベルの高いサッカーに触れる機会が多く、力の差を感じていたためJリーガーの道は断念。
「肉屋の長男(父)と豆腐屋の長女(母)が結婚し、セブンイレブンの長男(自分)が生まれた(本人プロフィールより)」というように、実家が自営業だったこともあり、いつかは自分も独立すると漠然と考えていたという。「自分の性格上、日本の大学に進んだら遊んで終わってしまう」と自分で気を引き締め、留学を思いつく。高校卒業後は、留学準備期間として1年間、ペンシルバニア州ピッツバーグ大学の日本校で英語を学び、留学に臨んだ。「いずれは独立し経営者になる」ことを想定し、ビジネスを専攻しようと思っていたが、日本校の教師に「コンピュータに向いている」と勧められたのをきっかけに専攻を変更。大きなターニングポイントとなる。
小学生の頃から、お父さんが譲り受けたコンピュータを触り、簡単なゲームをプログラミングして遊んでいたので違和感はなく、すんなりと受け入れられたという。
留学先は、日本人の少ないノースダコタ州のジェームスタウン大学を選んだ。「1ページの英語を理解するのに1時間かかるので、10ページを予習するためには単純に計算しても10時間。睡眠時間を削って勉強しました。ときには何でこんな苦労しなければいけないのかと思うこともありましたが、自分で選んだことだったので、途中で諦めたら何も得られない、辞めようと思えば明日でも辞められる、だったら今日は頑張ろう、そんな気持ちで一日一日を過していました」
こうして1年が過ぎ、2年目はサッカー奨学金を得てオクラホマシティ大学に編入。3年目はピッツバーグ大学へ編入した。「コンピュータサイエンスを専攻していたのですが、机の前に座っていることが苦痛になり、営業的な動きができるものはないか探していたとき、システムエンジニアという職種を知り、情報科学へと学部を変更しました。これもひとつのポイントでした」
卒業後すぐに帰国し、日本IBM(株)に入社が決まった。時代はITバブルに突入。大手自動車メーカーのシステムを担当し、連日、深夜までの仕事が続いた。5年が経過した頃、ふと立ち止まり、「本当に自分の好きなことに時間とパワーを費やしているのか」と問いかけてみた。答えは「No」だった。
IBMを退職し、仲間と一緒にネットで映像を配信する会社を立ち上げた。ユーミンの仕事に関わるなど、意気揚々と仕事をこなしていたが、収益は上がらなかった。通信基盤の整備が追い付かず、時代が早かったのだ。「ベンチャー企業にありがちなのですが、走り続けないと不安でしょうがない。そんな落し穴に陥ってしまったのです」
出資金を食いつぶし経営も厳しくなり、人員削減という手段で経営の建て直しを図るというとき、部門長として部下だけをリストラすることが許せず、退職。「すばらしい企画を考えてもユーザーがついてこなかった」ことを反省し、「お客さまが本当に困っているところに手を差し伸べられる仕事をしよう」と選んだ新天地は沖縄だった。
新たな仕事を始める場として、市場が大きく、知り合いの多い東京を選ぶことは簡単だった。だがあえて、ほとんど知り合いのいない沖縄を選んだのには理由があった。「人生、山あり谷あり。今は谷の時期。そんなときに安易な道を選ぶより、ゼロからやり直す方法を、今のうちに経験しておくべきだと思いました」
2002年1月、苦楽を共にしてきた友人とともに、(有)コンピュータケアを設立。右も左も分からない状態で、地図を片手に手づくりのチラシをポスティングする日々が続いた。「一日5、6時間のウォーキング(ポスティング)を半年間続けました。そんなときOCNの中部開局に合わせて、サポートを委託することになり、少しずつ動きだしました」
口コミで顧客は増え、今では5名の社員を雇用するまでになった。近い将来東京への進出を視野に、今は足場がための時期。コンピュータのケアでありながら、「お客さまの目線に立つ」というソフトなケアに磨きをかけるために。
▼大高邦男さんのターニング・ポイント・マップ
【1989年 18歳】
高校卒業後、留学準備のためピッツバーグ大学日本校に通う
【1990年 19歳】
渡米。ノースダコタ州ジェームスタウン大学に入学
【1991年 20歳】
オクラホマシティ大学にサッカー部の奨学金を活用し編入
【1992年 21歳】
ペンシルバニア州ピッツバーグ大学に編入。
コンピュータサイエンスからインフォメーションサイエンスに学部を変更する
【1995年 24歳】
帰国。日本IBM(株)に就職。システムエンジニアとして大手自動車メーカーを担当する
【2000年 29歳】
IBMを退職し、(株)ロペ設立
【2002年 31歳】
(株)ロペ退職。
【2002年 31歳】
沖縄で(有)コンピュータケアを設立。ゼロからのスタートを切る
▼大高邦男さんよりメッセージ
やりたいこと、やりたいと思う会社があれば、募集有無に関係なく門を叩くべきだと思います。エネルギーを持って動いたときは、エネルギーを引き寄せる力が湧いてきます。
人の出会いにしても、仕事にしてもめぐり合わせがあります。募集をしていなくても、チャレンジすることで何かが動くかもしれません。
ただなんとなく仕事を選んでいると、なんとなくしか物事は動きません。やりたいことがあれば、自分なりにこだわりをもって、自分で選んで進んでみてください。
そして言葉で発することで、周りも動き始めるかもしれません。
就職活動は受け身ではなく、自分が選んで、自分で決めることだと思います。
▼お仕事紹介
有限会社 コンピュータケア
宜野湾市宇地泊558-18
098-942-8490
http://www.computercare.jp
パソコンのトラブル、定期メンテナンス、新規パソコンの購入、増設、設置作業、インターネット接続作業、周辺機器の増設など、コンピュータに関する悩みを専門用語を使わず、分かりやすく解決・サポートするのがコンピュータケアのミッションです。
例えば、専任のシステム担当者を配置する余裕のない企業に代わっての運用管理をはじめ、日々のPCトラブルの解消など、各企業の環境や症状に合わせたサービスやケアを提供。
電話診断・回答するテレフォンケア、遠方や時間のない方向けの遠隔治療、訪問ケア、トラブル未然防止のための定期メンテナンスなどのメニューで対応しています。





